その『凍て鶴』に映画化の話が持ち上がり、監督・脚本に選ばれたのが、天才的な嗅覚で物事の本質を独自の視点で切っていく人気脚本家の小野川充。
もともと深夜のテレビドラマで独特の雰囲気のあるホラーで人気を博した奇才で、さらならるステップアップに今回の仕事を依頼され、自身も『凍て鶴』を気に入っており是非にもと引き受けたのだ。
この小野川充が奇才と呼ばれるだけあって、いつもハイテンションな状態で周りの人間を自分のペースに引き込んでいく。そして彼の嗅覚が『凍て鶴』の中に漂う、作者の待居も気付かなかった「気配」とでもいうものを鋭く嗅ぎ取るのだ。
彼はその「気配」を、かつて世間を騒がした自殺をほう助するサイトの主催者に通じるとしてその主催者の自死を映画に絡めようとする。
そのため、その自殺系サイトを調べるためにその件を女性ライターの今泉に依頼する。
今泉はかつてネット心中について調べてまとめたものを1冊の本にしたこともあり、ライターとしての好奇心がこの依頼にのめり込ませていく。
小説は小説、映画は映画と割り切ったことを言っていた待居だが、ぐいぐいと自説を強引に押し付けるように迫ってくる小野川の態度をだんだんと嫌がるようになり、小野川が考える映画のプロットに消極的な態度をとるようになる。
待居と小野川
この2人の絡みの微妙な変化がこの物語の中心となるのだが、その変わり具合がなんとも不気味で怖い。
小野川が常にハイテンションで待居に自説を展開する姿は、いかにもテレビ業界人を思わせるような人物像だし、待居は物静かな感じで華やかな場所や事柄に関して苦手なタイプのようでこれもいかにもな感じの物書き像として描かれている。
ただ、物語が進んでいくうちに、真逆な感じの2人のどちらの中にもなにかしらの不気味な黒々としたものが隠されているような展開になっていく。読んでいる方には彼らの裏に、または過去に、何があって何をしたのかは全く分からない。また物語の展開の中で恐ろしい事件がこれから起きるわけでもない。でも今泉が自殺系サイトを調べていくうちにわかっていく事実の数々が待居と小野川、2人の存在をどんどんと不気味なものにしていくのだ。
派手なテロや連続殺人などは一切出てこない。
ただ鈍色のような色合いを感じる描かれ方をした多摩沢の街での彼らの言動が、読み手にざらついた不気味で居心地の悪い感触を味あわせるのだ。そして読み進んでいくうちにどんどんと死の香りが漂ってきてラストの恐怖のピークに突き進んでいく。
物語は今泉の調査と小野川の天才的な「ひらめき」と「冴え」によって展開していくのだが、小野川のその「ひらめき」と「冴え」が本物なのか、もしかすると小野川が何かを知っており今泉をたくみに誘導しているのでは、という疑惑も出てきて誰がどう何に関わっているのか、全く先の読めないものになってきてしまう。
それに加え、自殺を扱っていることで全体が鬱陶しい雰囲気に包まれており、そのこともこの物語をある種異常な世界にしている。
ラストもそんなことが??? と思うところもあるが、登場人物の人間性を考えるとそんなこともアリか、とつい思い直してしまう。
『犯人に告ぐ』では警察官を主人公にした骨太な犯罪小説だったが、今回は同じ犯罪小説だけれど全く毛色の違ったものになっていた。
いったん読み出すと途中でなかなかやめられない、ちょっと取りつかれたように読んでしまう、とても面白い小説だった。
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