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2011年4月21日木曜日

わたしを離さないで カズオイシグロ

静かな、とても静かな作品だ。

介護人のキャシーによる過去の回想録として物語は進む。

キャシー・ルース・トミーが過ごしたヘールシャムでの話。

正直、この物語を読んでちょっと戸惑ってしまった。
淡々とそして静かに物語は語られていく。
読み進んでも淡々と寄宿舎のようなヘールシャムでの生活やそこでのちょっとした日常の出来事、ルースやトミーとの関係が語られるだけで何が起きるわけでない。
何も起こらない。これが普通の人間の生活ならほんとうに淡々とした味気のない毎日だ。

しかし彼らにとっては違うのだ。
そして本来は彼らにはそうした生活すらありえないのだ。
その事実は少しずつ少しずつ小さな断片によって明かされていく。

ヘールシャムは特別だった。
より普通の人間の生活レベル、学習レベルに近づけると信じた団体によって教育され彼らが人間として成長できることを証明しようとしていた。
しかし結果的にはその証明そのものが行き過ぎ、逆に彼らを脅威とみなす者たちが現れ、そうした試みは破綻していく。
我々が何も無いと思っている日常生活が彼らにとっては特別で重要なことなのだ。

とはいえ、いずれにしても彼らがいつかは提供者としての役目を担わなければいけない日がやってくる。
彼らの中で噂されている当てにならない希望。
助かるわけではない、あくまで猶予されるだけだが、それでも彼らはそれにすがり自分たちの存在意義を確かめようとする。
自分たちも同じ人間ではないのか。同じ生活を営めるのではないのか。
だが、その猶予の話も都市伝説のように出所不確かなうわさ話でしかなかったのだ。
感情が波打っても仕方ない状況であるにもかかわらず彼らは達観するかのようにそれらを受け入れ自分たちの進む道を歩んでゆく。


自分たちの存在理由 それを達観する彼ら。
彼らはあえて自分たちの運命に逆らうことをしない。それは自分たちの短い人生が決して避けることの出来ない決められたものだということが心の何処かで最初から分かっていたからなのだろう。

知識を得ることは決して間違っていない。いろいろなことを学び視野を広げていけば自分の周りの世界がどんどん広がっていく。
でもそのことで彼らは自分たちの運命がさけられないことを知ってしまう。
知ることは幸せなのか、それとも不幸なのか。
なまじ知識があることで自分の運命についてあれこれと思い悩むことが出来てしまう。

そもそも彼らに幸福や不幸などが関係あるのか・・・


そのことを知ってもそれを受け入れていく彼らをキャシーの目を通して見ている私たち読者はぎゅっと胸を締め付けられる思いをすることになる。

スッキリと晴れることのないイギリスの空の下、草原に強い風が吹いて髪を乱していく。
そんな情景が頭の中に繰り返し思い浮かぶ、悲しくも切ない物語だった。

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