友人と同じ本を読んでその内容について話をする。自分はこう思っていても友人は違うふうに感じていたりする。
そうしてお互いが思うことを話しあうことで違う解釈を楽しむことも出来る。
その違いはそれぞれの理解力も多分にあるのだろうが、それよりもそれぞれが自分の想像力でその本の世界を旅してきて感じてきたことの結果が違いに現れたのだと思う。
ひとつの同じ文字、同じ文章を読んでも友人と自分では創造の目で見た世界が必ず同じものに成り得ないのだ。時には作者が意図しないところまで行ってしまうことだってできてしまう。
そう、その想像の世界に旅立てるのが読書する最大の魅力なのだ。
検閲:
公権力が書籍・新聞・雑誌・映画・放送や信書などの表現内容を強制的に調べること
本を取捨選択するのはあくまで個人の自由。
個人が本を手に取りその内容が自分にとって面白いものかそうでないか、あるいは役に立つものか立たないものか・・・
たまに他人に薦められることはあるにしても基本的には自分自身が決めることだ。
内容についても良いものか悪いものかなんて人それぞれだと思う。
確かに誰が見ても必要以上に残酷な描写のものなど、内容がちょっと、と思うものは存在する。
でもそうしたものは次々出てくるけれど自浄作用が働くのかいずれ消えていくのだ。
でも出版すれば誰かの目に入る。そしてそれが読んだ人間に対して悪影響を与える。だからそうなる前にチェックを入れて出版の前段階でストップしてしまえばいい、と考える者は必ず出てくる。
しかしそんなことをいったん許してしまえば、それは表現の自由が奪われてしまう、ということなのだ。
万人が良くないと思われる本が出回りそれを読んだ人に悪い方向に作用してしまう。
確かに悪影響を与え良くないことになるかもしれない。
でもそれはそれを読んだ全ての人に当てはまるのではなく、あくまで個人の資質の問題だと思うのだ。きっと読んだ大部分の人は何も問題は起きないのではないだろうか。
そしてそうした本はいずれ自然淘汰され大きなゆがみを作ることなく消えていくと思われる。
前置きが長すぎたけど・・・
有川浩の『図書館戦争』はそんな本の表現の自由、読む自由を守ろうとする図書隊(図書及び図書館を守る架空の防衛隊)と検閲し自分達の勝手な解釈の判断基準を持って本を回収しようとするメディア良化委員会との攻防を主軸に限りなくラブコメの要素満タンの物語だ。
きっと作者はこうしたドラマの要素をしっかり研究していると言うか精通しているのだろうと感じてしまう。
それほど主人公以外の脇役の配置が決まっているのだ。
悪く言えば、いかにもラブコメに登場するキャラをちゃんと適材適所に配置している、となるのか。
個人的には高橋留美子的な感じが随所に感じられるのだが・・・
内容はというと、典型的なラブコメの軽い流れがあるものの、それを底支えするしっかりと作りこまれた世界観とその世界における決め事の数々がふざけすぎを押さえ、図書を巡る戦争をリアルに感じさせてくれる。
ただ、やはりライトノベル的言葉使いについてはまだ慣れていないせいか違和感全開状態。
こうした話にはいいのかもしれないが、ちょっと読みにくい部分も・・・
あくまで私が慣れていないだけのことかもしれないが・・・
2 件のコメント:
たまに寒いと思う話口調もあるけど、基本、女子は王子様願望を持ち合わせているので・・・こんな私も好きです。
この小説&堂上教官!
この間の、東京都の条例などなど
どこまでも書いていいってもんでもないけど
やはり上からの規制ってのは、ヨロシクない気がする。
一つの方向に持ってこうとするのが怖いなと。
BARA
BARAさん、コメントありがとうございました。
メッチャ遅くなりごめんなさい。
どうもコメントがスパム自動検出に引っかかって勝手に別のところに振り分けられて全然気づいていませんでした・・・
笠原郁の言動にちょっと閉口させられることもありますが、各キャラクターそれぞれがきちんと作り込まれていて誰を見ても楽しめます。
あまーい感じ漂う内容に女性はホッコリさせられるのでしょうね。
>やはり上からの規制ってのは・・・
ってなんか別の意味も含んでません^^;
それはともかく、無理に物事をねじ曲げてまで別の方向に持って行こうとする力は権力を持てば持つほど恐ろしいものですね。
自由にどこでも行ける、自由にものが言える世の中は当たり前だけれど、とても大切な権利なのですよね。
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