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2011年8月28日日曜日

フェルメールからのラブレター展 京都市美術館


6月25日から始まっていて気になっていたのだがなかなか行けなかった『フェルメールからのラブレター展』を見るために京都へ行ってきた。




『フェルメールからのラブレター展』
2011年6月25日-10月16日
京都市美術館






四条大橋から鴨川を眺める。


京都の夏の名物、「納涼床」が出ている。
夕方、日も暮れてきてあそこでビールを飲みながら美味しい京料理を食べたいなぁ



























京都市美術館

昨年7月にここで開催された『ボストン美術館展』に来て以来1年ぶりにやってきた。

フェルメールはさすがに人気なのかチケット売り場には行列が出来ることを見越して日よけのテントが張られていた。
でも今日は列はナシ




























あっさりとチケット購入





今回のこの展覧会、もちろんフェルメールの3作品がメインとなるのだが、それらが描かれた同時期、17世紀のオランダの風俗・習慣を伝える多くの画家の作品も同時に展示される。







とはいうものの、みんなのお目当てはやはりフェルメールだ。































『手紙を書く女』


































『手紙を書く女と召使い』




































『手紙を読む青衣の女』


ド素人の私がなんだかんだと解説できるものではないが、普通の日常のひとコマを切り取っただけのものなのだが、計算された構図と光の自然な使い方にフェルメールの素晴らしさが出ていると思う。

『手紙を読む青衣の女』は修復後、世界初公開だそうな。ラピスラズリの美しい発色の青色が蘇った。




このころの手紙は日本の出島まで届くようにはなっていたらしいが、出して返事がくるまで2年も3年もかかっていたらしい。
そんなころの手紙なのだから、皆必死の思いで書くだろうし一字一句漏らさずその内容を読もうとするだろうな。
そう、手紙が遠く離れた大切な人とコミュニケーションをとることのできる唯一の手段だったのだから。
今のお手軽なメールとは重みも思いも全然違うものなのだ。

そうした「思い」がフェルメールの絵の中に表されていて、見ているうちに改めて人と人のコミュニケーションの大切さを思わされた。



それにしても自分でここまで描けないから余計に思うのだが、どうして画家は日常の一瞬の姿をとらえることができるのだろう。
そりゃあモデルがある程度の時間、じっとしていてそれを描いているのだろうが、見ているうちに写真で撮ったものを絵に描き起こしているような気がしてくるのは私だけだろうか。




























これはコルネリス・デ・マンの『薬剤師イスブラント博士』だが、モデルの着ている衣服、それも下半身の描写は、詳細に見ればもちろん絵だとわかるけれど、パッと見たり遠目で見れば写真のように思える。

もちろん写真などない時代、こうした肖像画が肖像写真の変わりなのだろうが一瞬の世界をとらえるって、やっぱりすごいな、と単純に感心してしまう。




この17世紀のオランダの風俗や習慣、そして家族の絆などがよくわかり、その点でもなかなかおもしろかった。



久しぶりに高尚な時間を過ごすことが出来て、暑くて、人の多い京都にわざわざ出かけたかいはあったかな^^

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