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2011年10月6日木曜日

別冊図書館戦争Ⅱ

「図書館戦争」から始まって行きつ戻りつ、なかなか前に進まない笠原郁と堂上篤の二人にこちらはハラハラしたりドキドキしたりで行く末を見守っていたのだが、ようやくなんとか収まるところに収まったようでひと安心。




とはいえ、彼ら以上に気になり続けていた二人がまだ残っている!!!



そう、柴崎と手塚の関係がずっと気がかりだった。

彼らはどちらも頭がイイ。この場合の頭がイイ、というのはもちろん勉強が出来るというのも含んでいるが、それよりも回りの状況判断が出来たり自己や他者をきちんと分析出来る能力のことだ。


彼らはそうした優れた能力を使ってこれまで他者との関係を推し測り彼らそれぞれの世界を築いて来たのだ。

だからその自分たちの世界に他者を入れるという行為は、彼らにとって非常に勇気のいる事だったのではないだろうか?

彼らはお互い色々なことをすぐ察知出来るのだから先がすぐ見えて(想像できて)物事を達観してすぐ諦めようとしてしまう。
なまじ物事の本質がよく見えるだけについ一歩引いたところに自分を置いてしまうのだ。


そんな二人だから相手の気持ちに気が付くことがあってもなかなか先に進めない。
きっとあまりに自分を防御し過ぎて自分自身さえも外に出られなくなってしまったのだろう。

多くを知りすぎて、わかりすぎてがんじがらめになってしまっているのだ。


その点、笠原郁は行動あるのみ。
彼女に知識は必要でなく、またそれがないからこそ素直に身体が反応するのだろう。




そんな手塚と柴崎が影響されるのが、その真逆な笠原郁と堂上篤のふたりなのだ。
手塚と柴崎が頭にある知識や自分なりのルールが邪魔をして動けないことがあったとしても笠原郁と堂上篤のふたりは軽々とそれを越えていってしまうのだ。


この笠原・堂上の存在が手塚・柴崎それぞれの防壁を少しずつ崩していき、そしてこの「別冊図書館戦争Ⅱ」で起きる事件がきっかけでついにふたりは素直に自分の気持ちを相手に向けることが出来、無事めでたくハッピーエンドを迎えるのである。






ずっと気になっていた手塚と柴崎が最後の最後になって結ばれることになったのだが、このシリーズを全部通して読んでみて、やはりこれって乙女チックなあまーい恋愛小説だなとつくづく思った。
時々読んでいて照れるような恥ずかしいような場面がセリフが出てきて電車の中で読んでいてつい後ろを振り返って見られていないか確かめることが何度もあった。


こんなあまい小説読み続けていると、いつか糖尿病にもなるのではないだろうか(ってウソ)


でも「図書館の自由に関する宣言」を見つけここまでの物語を書き上げた有川浩はやはり素晴らしいストーリーテラーだとあらためて思う。

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