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2011年3月6日日曜日

シンセミア 阿部和重

すごい小説だと思う。
文庫本で全4巻。その長さもかなりのものでそれはそれで読む側に身構えさせるだけのものはある。
でも大長編の物語なんて世の中には数えきれないくらいあるのでそのことだけでこの作品がすごいってことには決してならない。
この本のすごいところは、読んでいて自分がこの小説のどこに惹かれるのかまったくもってわからないにもかかわらず読み出したらどんどん引き込まれて止まらなくなってしまうところなのだ。
まぁあくまで個人的見解だけれど・・・



基本的には60人ほどの人間が登場する山形県の神町を舞台に町の経済を牛耳った「パンの田宮」創業者一族の田宮家の盛衰を中心とした群像劇なのだが、全てを通してみてもすごいことが起きるわけでなく、ただちょっとフツーでない人々が破滅に向かってただひたすら淡々と進んでいくだけの物語なのだ。

タイトルのシンセミア(Sin Semillas)はスペイン語を直訳すると”種無し”ってことらしいが隠語があって上質のマリファナって意味らしい。そんなタイトルのように読み手を知らず知らず中毒にさせるかのようなこの物語は何がそうさせるのだろうかと考えてみた時、軽妙な文章によるところが大きいのではないかと思うのだ。私に文章のなんたるかを述べられるほど知識も才能もないけれど、あっという間にその世界へ引き込んでしまうその力は読みやすく魅力的な文章を書くうまさなのだと思う。


それにしても奇妙な物語だ。
先にも書いたがここに出てくる主要な登場人物はみんなどこか少しおかしい人間ばかりなのだ。
ロリコンの警官、盗撮・盗聴サークルの面々、町を牛耳るパン屋・・・etc。。。
なんだか中学生の恋愛のような雰囲気のパン屋の長男夫婦はちょっといじらしい気もするのだが、ヘロインの力を借りなければ次のステップに進めずにいるのはやはり変。でも個人的にはこの夫婦に一番感情移入して読んでいたので少しずつでも相互理解を深めていってうまくいってほしかった。この田村家の長男、田村博徳はこの物語の中では比較的普通の感性を持った人間で、それ故にこの神町の中では浮いた存在となっている。
そう、おかしな人間ばかりなので、その中でごく普通の夫婦関係を築こうとしていた彼をついつい応援したくなっていたのだ。
だが残念ながら彼らの関係もまた悲劇的結末に終わる。
まぁ考えてみれば麻薬をやっている時点でいい方向に進んでいくとは思っていなかったけれど、儚い望みだけれどそうしたことも夫婦で乗り越えていくのかと考えていた。なので彼に訪れたその瞬間はちょっとショックだった。




何度もおかしな人間ばかりが出てくる、と書いたが、考えて見れば彼らは単に自分の心の声に素直に従って行動していただけではないか。
作者は人間の持つ多種多様な欲望の形をそれぞれの人物を借りて表出させているような気がする。人間は清廉潔白なんかではなく、皆それぞれドロドロと黒いものをその心中に抱え込んでいるんだよ、と・・・。


あくまで理性的に振舞おうとする者は悩み苦しみ、欲望に忠実な者はまるで楽しげに日々を過ごしているかのように描かれている。
まるで欲望に忠実に生きた方が楽だし楽しいと言わんばかりに。
誰もが堕ちていくと分かっていても止められず、自らの欲望に身を任せてゆく。甘美な誘惑に我を忘れてしまえば、当然それは一直線に破滅に向かう一方通行の道なのだ。
事実、そうした人間はことごとく死をもってその欲望に終わりを告げる。


人間社会という枠の中で、そこからはみ出さず道徳や義務の意識を持って生きていくことは自分の中にある一部の感情・欲求を押し殺していかなくてはいけない。そうすることが当たり前のこととしておそらくは無意識に生活しているのだと思う。
抑圧された一部の感情は死によって解放されるまで心の奥底に追いやられているのだ。


物語のラスト、生き残った金森年生が整形し田宮彩香に近づく様は、まるでホラー映画のラストのようだが、これは人間の自堕落な欲望も繰り返し続いていく、ということを表しているのだろうか・・・


極端な人物設定のこの物語からはそんなことが感じられたが考えすぎか・・・




物語の中で女性の心中が男性目線で描かれることが多い。男性がこうであろうと察するものや女性自身が自ら思うこともなにか男性というフィルターを通して表されているように思える。これは作者が意図したものなのだろうか。それとも作者が男性ということでついそうした表現になっているのか・・・


登場する女性の多くは過去も現在も男性からなにかしらの迫害を受けている。男性目線で描かれているのはこうした女性迫害の意識を読み手に刷り込む手段なのか。そしてラスト近くになり麻生未央をはじめ、女性は男性に復讐する。
これまでの男性目線の文章によって植えつけられていた男性>女性という読み手の意識によって復讐劇はより衝撃的なものとなる。




不思議な現象を不思議なまま残しておくなど、この作者のこの物語の意図がまだまだ掴めないままだったけれど、なんか惹かれるんやなぁ、これが・・・
なんなんやろか・・・

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