読み始めは怖いような空想・妄想のオンパレードだったのでちょっと引き気味に読んでいたのだが、読み進んでいくつかのエピソードの中にちょっと自分の子供の頃と似たところがみられつい共感しながら読んでいる自分に気づいた。
小さいとき私も両親が共働きだったこともあり、よく一人で空想遊びをしていた。
両手のひらを頭の上にのせた姿を影に写して目玉星人だと言ってそのままでずっと見ていたり、自分の手のひらが戦艦になったりUFOになったりありとあらゆるものにその姿を変えてみたり、タンスの上に乗って置物のようにじっとしていたら部屋に姉が入ってきて私に気付かずに出ていき自分が透明人間になれたと喜んだりする、そんな子供だった。


目玉星人・・・
なのでこの作者の話の全部を理解できる、とは流石に無理だけれど、ホンの何%かは「うん、うん」と頷けるものがあったことを正直に述べておく。
エピソードのひとつに部屋を片付けられない後輩(だったか?)がいて、その部屋を片付けに行った時の話があった。
部屋の中はもう足の踏み場がない、というより入ることさえ困難な状態で、いろんなモノが幾重にも重なりあい、これまでの彼の歴史が地層のようになっていた。
面白かったのは、作者はこの部屋を片付けていく過程をその後輩の精神構造になぞらえたことだ。積み重なった上の方にあるものを彼の表層意識として片付けていき層の下へ下へと進むにつれ、徐々に彼の深層意識へと入り込んでいく。
そして最後にゴミの山の中から彼の精神世界の源泉、イドとしての「こたつ」が現れる。
最後の最後、こたつの中にあった書き物を見られまいと彼はそれを持って行方知れずとなる。
このエピソード自体とても面白かったのだが、それに加えて「おっ!」と思ったのは、「イド」という言葉を久しぶりに目にしたからだ。
その言葉を初めて聞いたのはまだ私が小学生の頃だったと思う。
親の影響で海外の映画を小さい頃からよく観ていて、その日テレビでやっていたのが『禁断の惑星』(原題:Forbidden Planet)だった。
あらすじは、ウィキペディアでも見てもらえばわかるので省略するが、この映画に「イドの怪物」というものが出てくるのだ。
初めてこの映画を観たときは「イドの怪物」ってよくわかってなかった。耳で聞いただけなので「井戸の怪物」だとばかり思っていた。
「イドの怪物」の「イド」が精神分析で言うところの「超自我」ってやつだということはオトナになってから、しかもかなり最近にわかったことだ。
意味はわからなかったがこの映画が好きでこれまでなんども見てきたがここ10年くらいは観ていなかったと思う。
なので意外なところで「イド」って言葉に出会って、ブワーッと『禁断の惑星』のことが思い出されてしまった。
ちなみにこの映画で捜索隊の隊長役で出演しているのは『裸のガンを持つ男』などに出ていたコメディー俳優のレスリー・ニールセンだそうな。へぇー
なんだか本の感想文というより思い出の映画を語る、って感じになってしまった・・・
岸本佐知子さんって他に小説でも書いているのかな、と思ったらエッセイしかなくて、基本的には翻訳家さんだったんだね。
訳した本で読んだことあるかも、って思ったけど一冊もなかった・・・
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