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2011年3月4日金曜日

東京島 桐野夏生

もともと桐野夏生はちょっと苦手な作家だった。
あくまで個人的感想だが、どうも「女の性」というものが全面に出過ぎていて、読み進んでいくにつれ男の私にはなにか落ち着かないような重苦しい気分になってしまう理由からだった。

そんな避け続けてきた桐野夏生が書いた『東京島』を勇気(?)を出して読んでみたのだが、なんだかもやもやとした違和感が最初から最後まで拭いきれないまま読み終わってしまった。




桐野夏生ってこんな文章を書いていたんだろうか・・・?
昔読んだ『柔らかな頬』や『OUT』なんかは醸しだす匂いは苦手だったが、グイグイと読み手を引っ張る文章自体は嫌だと思ったことはなかった。
ところが、この『東京島』の文章はなんなのだろうか・・・。
読み始めて妙に短く切られた文章のひとつひとつがなにか居心地の悪さを感じさせて落ち着かない。
無人島に漂着して不安な毎日を送る登場人物たちの心情を表しているのか、それともこの物語自体をなにか寓話かお伽話のように仕立てたくてそうした表現方法をとったのか・・・
ズバズバ切られた文章のために感情移入しようと思ってもすぐ切られるというか、拒否しているかのように思われて物語自体に入り込めなかった。

先に映画の予告を観ていたので清子を木村多江のイメージで読み始めたのだが、とてもじゃないがそのままで読み進むことができるわけがないッ!!!
日本にいれば若い男性からは見向きもされない、自分自身も見た目も気にしなくなった40過ぎの女性である清子が“東京島”でただ1人の女性となるのだ。
一気に島の男達からチヤホヤされる存在となって島の女帝として君臨するものの、やがてはその地位も人気も地に堕ちることとなる。

そんな清子の役が木村多江ではこの物語が到底成立するわけがないのである。
どうも映画では太り気味の中年女というのを地味で目立たない細身の女に設定を変更したみたいだが、物語の根幹でもある清子のキャラクター設定をそんなふうに変えてしまっては、あとのストーリーをどうしたのか・・・
映画を観ていないので何とも言えないが、観ればきっと「金返せ~!!!」って叫んでしまうような話になっているのだろう。


島の中には果物や根菜、トカゲや虫類など、そこそこ食べ物もあり、気を抜けば死んでしまうような危機感はさらさらない。
男達がブクロやジュクなどと東京の地名らしきものを付けた場所で何をするでもなく過ごせているのはそのためであり、それがこの物語をユルいものにしてしまっている。
あとからやって来たホンコンたちとも争うこともなく妙な住み分けが出来ている。

あとあとの展開のために用意しているアイテム(ドラム缶だったりフィリピーナだったり)がちょっと自然ではなく、分かりやすいといえば分かりやすいのだろうが安易な設定のような気がする。

とはいえ、孤島に放り出され徐々に精神を蝕まれていく人間たちのおかしくもあり、また悲しくもある様は不気味に描かれており、そうした人間性の1枚1枚が剥がされていく描写はリアルでさすがに桐野夏生らしい、と感じた。
“東京島”を日本の縮図にしてなにかを描きたかったのではなく、きっとそうした人間性の剥落による狂気とエゴ。そしてそれを超えてでも生きていこうとする再生の物語を書きたかったのかもしれない。

で、最後に・・・
この物語って調べてみると元ネタがあったらしい。非常によく似た出来事が太平洋戦争の戦中・戦後にかけて起きている。
その事件がアナタハン島事件。
太平洋戦争中の昭和19年、サイパン島の北100㎞ほどにあるアナタハン島。この島で元々仕事できていた者と船が難破してこの島にやってきたものが約6年の間、女1人と男32人が暮らし続けていたそうだ。その間に原因不明の死亡事故やらが何度か発生し、それが島にいるたった1人の女性に関わっている、という。なかなか『東京島』の内容と酷似している。
その女性が清子と同じような心境で過ごしていたかどうかは分からないが、そんな事件があったなんてちょっとビックリしてしまった。

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