「太陽の塔」に続く森見登美彦の二作目の長編である。
四つの物語に分けてはいるもののこれはIFの物語で、主人公の”私”が選択するものによって起きる出来事を描いている、いわゆるパラレルワールドものといえる。
四つの話の中には同じような設定、セリフなどを微妙にズラして入れ込んであって、それがそれぞれの話に関わってくる。
膨大な言葉のボキャブラリーとその言葉による伏線張りまくりで独特の森見ワールドが展開される。
今回も「太陽の塔」の主人公と同じように幻の至宝と言われる「薔薇色のキャンパスライフ」にあこがれるもののそれとは真逆の学生生活を送る”私”が主人公で、廃墟同然の下鴨幽水荘の四畳半がタイトルのそれにあたる。
「太陽の塔」の主人公と違うのは、今回は妄想をほとんどしないことか。
今回の”私”は「薔薇色のキャンパスライフ」を送るためにどこかのサークルに入ろうとする。これは以前の主人公に比べずいぶんと前向き、というかかなり普通に近い感覚の持ち主に設定されているように思う。
とはいうもののひねくれ具合と非協調性は相変わらずで、最強の相棒(?)となる小津という存在も彼の不幸具合を加速させてくれて笑える。
でも、不幸の黒い糸に結ばれていて”私”を貶めようとする小津だが、彼は彼なりに主人公を庇い守ってきたところがあるようにも思える。
それは彼なりの愛情なのか、それも単なる都合上そうなっただけなのかは彼のみぞ知るところか。
(各話のさげに使われてるがあれは真情を吐露しているのか・・・???)
大学に入って目眩く「薔薇色のキャンパスライフ」を送るべくどこからのサークルに入会しようとビラを持って時計台の下へ赴く。
映画サークル「みそぎ」
「弟子求ム」
ソフトボールサークル「ほんわか」
秘密機関<福猫飯店>
なんだか普通ならどれにも入らなさそうな名称のサークル(「弟子求ム」はサークルじゃないか・・・)なのだが、各話でこの4つのどれかに入ることでそれぞれの物語が展開していく。
小津はこの全てに関係していて、どの選択肢を”私”が選んだとしても出会うようになっている。
まさに八面六臂の活躍で、いったい彼はなにものなのかよくわからない。本当に下鴨界隈に現れる妖怪なのかもしれない。
そんな小津がいったいなぜ”私”の周辺に出没するのかも全く分からないのだ。善からぬことを行うのに人一倍忙しいはずなのだが、なんだかんだと”私”に構おうとして”私”にすればかなり鬱陶しい存在のはずだし、読んでいる側もそう思ってしまう。
なのに彼が”私”の周囲に現れるのが何も不思議に思わないし、無限四畳半に迷い込んだ”私”同様、小津が出てこないとなんだか寂しい気分にさせられてしまうのだ。
きっとこれは”私”と小津のやりとりがボケとツッコミの漫才のようで、私の関西人の血を呼び起こすためなのだろう・・・たぶん・・・
どのサークルを選んでも最終的に鴨川デルタでの騒動で明石さんと急接近する。”私”が明石さんを急速に意識するきっかけとして占いの老婆が告げる「コロッセオ」というキーワード。この「コロッセオ」が各話で違う出現の仕方をするのでそこもおもしろい。
で、その明石さんだが、以前読んだ『夜は短し歩けよ乙女』に出てくるヒロインのほのぼのとした雰囲気と違って、てきぱきなんでもこなし、物事を少し離れたところから見るような冷静さのあるきりりとしたイメージの女性に思えた。
そして理由はわからないが”私”(もしくは小津かもしれないが)に以前から興味を持っていた模様。
鴨川デルタで宴会をしていた映画サークルに向かって花火を打ち込んだ”私”に口パクで「阿呆」と言った明石さんにそのことを私は感じたがどうなんだろうか・・・
その後の二人のことを知りたかったのだが、当の”私”本人が拒否しているので分かりようもなく残念だ。きっと振られたに違いない。
『夜は短し歩けよ乙女』はこの物語の後に書かれたものだが、その『夜は短し・・・』に出てきた樋口清太郎や羽貫涼子がすでに登場しているが、この頃はまだ人間っぽいところが残っていた。
「かもたけつぬみのかみ」なんて神様として登場し、弟子からの貢物で生活するなど浮世離れしたところは将来の片鱗をみせるものの単なる年を重ねたただの学生である樋口師匠は、学友の城ヶ崎と「自虐的代理代理戦争」なるものを続けていたりと、ちょっとふざけた学生という感じだった。ところが『夜は短し・・・』では空中を浮遊する術を操る”天狗”として登場する(まぁ見た目はどちらも浴衣を着た同じものなのだが)。この2作品の間に彼になにがあったのだろうか。
そういえばどこか旅に出かけたのでその時に天狗になる修行をしてきたのかもしれない(そんな修行があるのか???)。
それと羽貫さんもまだ普通の人っぽさが残っており、酔って働いた狼藉を反省したりもする。
このへんは読む順序が逆になったことで今を知る人の昔の姿を垣間見たようでちょっとおもしろかった。
同じような設定の物語を3作読んだわけだが、それに飽きがこないのは作品の面白さもさることながら、森見氏の書く文章の、次々と繰り出される言葉の波が作るリズムが心地良いせいなのかもしれない。
また少ししたらこの心地よい言葉のリズムに浸りたいと思う。
そうそう、森見氏のブログ「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」にある作者近影に写っているのはひょっとするともちぐまではないだろうか・・・
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