大場栄陸軍大尉
1944年2月、歩兵第18連隊衛生隊長としてサイパン島へ転出。その年の6月にアメリカ軍がサイパン島へ上陸、サイパン島守備隊の第43師団が全滅した後も生き残った兵を率いてタッポーチョ山を拠点にアメリカ軍に抗戦し続けた。そして日本の敗戦が決まった後も山を下りず、1945年11月27日に天羽少将による正式な降伏命令書を受け、12月1日に47名の兵士と共にアメリカ軍に投降した。
この本は、その大場大尉がアメリカ軍に投降するまで、常に死と隣り合わせのギリギリの状況が続いたジャングルの中で何のために戦うのか苦悩しながらも生き抜いた日々を描いたものである。
つい最近、映画『太平洋の奇跡フォックスと呼ばれた男』が公開され大場栄大尉の名前がメディアで紹介されるようになった。同名のノベライズが出版されておりこれと間違えそうだが、それはつい最近出されある程度脚色されたもの。
今回読んだものは出版の際に大場氏本人が許可・監修し1957年に出版された、本人目線でほぼ事実が書かれたもの。出版当時は『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日』というタイトルだった。
ずっと絶版状態で読むことが出来なかったのだが、映画の公開にあわせて文庫化されたおかげで読めるようになった。
映画はまだ見ていないが予告編を見る限りでは、大場大尉はジャングル奥地に仲間と共に潜んで、あの手この手でアメリカ軍を翻弄し続けていたような印象を持つ。
だがこの本を読んで実際には圧倒的な兵力・物量を持つアメリカ軍を翻弄し続けてきたわけではなく、なんとか隊の兵を、民間人を、そして自分自身の命を長らえさせるためだけに細心の注意と準備、そして勇気を持って、翻弄するのではなく必死に生き抜こうとしていただけだということがわかる。
当時の他の多くの者と同じように、彼もまたお国のために死ぬことが最上のことだと思う日本国軍人の一人だった。
そんな彼がサイパンに来て、満足に戦う間もなくアメリカ軍の攻撃でジャングル奥地に逃げ込むしかなく、なにもできずただ死を待つだけのような状態で洞窟に隠れているのは非常につらいことだったのだろうと思う。
戦わずして死ぬ、ということは彼らにとっては恥ずべきことだったに違いない。
そして日本軍が最後の総攻撃を7月7日に決めたその数日前。
大場大尉もこれでやっと戦って名誉ある死を迎えられる、と思っていた。
しかし日本軍連合艦隊がサイパン島を奪回しに来る、との噂を聞きつけ、その気持ちが揺らいでくる。
援軍が来るのであれば、それまでは戦いを長引かせ島を守るべきではないのか。自決したり玉砕攻撃することは天皇陛下の兵士を失い皇軍を弱らせ、お国のために尽くすことにならないのではないだろうか・・・
やはりこれも先述のように無駄に死ぬことが彼にとってはとてもつらく恥ずべき行為に思えたのだ。
この頃の大場大尉を含む日本軍人には(正誤はともかく)強く武士道の精神が貫かれている。
葉隠に
『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』
とあるように正しい生き方があるのと同時に正しい死に方もあることを強く意識していたのだと思う。彼らにとっては、どこでどうやって生きることが目的ではなく、どこでどうやって死ぬことが最終目的なのだ。誇り高く死ぬために、そのために生き延びてきた結果が500日以上に亘るジャングルでの戦いになったのだ。
同じように名誉の死を考え、自決した者たちからすれば大場大尉の考えは間違っている、詭弁だと思われるかもしれない。
だが多くの兵士を残して、島を守れなかった責任をとると言ってアメリカ軍と死を賭して戦わず自決することを選択した司令官たちは、むしろ逆に無責任だとも考えられる。
とはいえ、おそらく本当に死にたくて死んでいった人なんてほとんどいなかったんだろうと思う。司令官たちだって心の奥底では死にたくない、と思っていた人もいたはずなのだ。
でもそれを言えない、言わせなかったのはそういう時代、当時の日本全体を包んでいた空気だったのだろう。
大きな流れに流されやすい日本人の気質とはいえ、本当に恐ろしい時代だったのだと思う。
結果的に大場大尉がとった”死に場所探し”のおかげで多くの民間人を含む日本人が助かることになる。
ジャングルでの生活の後半、日本が負けたかもしれない、という話を聞きつける。
それを知った大場大尉は初めて自分は生きて日本に帰れるかもしれないと思う。
そして生きることに希望を見出すのだ。
そう、日本軍が負けることで大場大尉の呪縛が解け、「軍人大場大尉」ではなく、ただの「大場栄」としての感情が芽生えてきたのだ。
投降の日の1945年12月1日
彼は部下にきれいに身支度をさせ、死んでいった者たちのために慰霊祭を行い、日の丸を先頭に隊列を組んで軍歌を歌いながらアメリカ軍基地まで行進していった。
そして基地の司令官であるハーマン・ルイス中佐に彼の軍刀を差し出した。
(のちにこの軍刀はルイス氏自らの手で大場氏に返されることになる)
その瞬間、彼は軍人としての自分の「死に場所」をやっと見つけたのだと思ったのではないだろうか。彼はアメリカ軍にもそして自分の中の弱さにも負けず、最後の最後まで敗者にはならずに彼の戦いを終わろうとして、そしてそれをやり遂げたのだ。
大場栄大尉は「軍人」として誇り高い最後を迎えられたのだと思う。
この本は大場氏の意向もあり、事実をほぼありのままに淡々と書かれてあり、まるで日記か記録報告書の類のようにドラマチックな描き方はほとんどされていない。
なので読んでいても物足りない部分はたくさんでてくるが、それはしかたのないことかもしれない。
映画を観てエンターテインメントではなく、もっとほんとうの部分を知りたくなった人が読むことで、より深く大場栄氏について知ることが出来ると思う。
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